<これは2003年正月に書いたものです>

私は、ある意味では遅すぎた文章をやっと書く気になりました。
はじめに明記しておきますが、私は、このHPはやめません。
まあ、大多数の方にしてみれば、こんなHP、すでに死んでいるも同然、今さら何をといった所でしょうが、そういう方は今これを読んではいないでしょう。わっはっは!

世の中はものすごいスピ−ドで動いてます。
とりあえず、私も、公私ともども、それなりのスピ−ドで生きてます。
1年の間にはそれなりに色んな変化があるし、5年もあれば生活も変わる。
10年ひと昔とはこれいかに、です。

私がこのHPを立ち上げたのは1996年12月ごろです。はっきり言って、正確な日付は記憶にありません。なぜその頃だかおぼえているのは、96年の11月に私はとあるデザイン会社に入社したからです。

その頃、その会社は暇でした。ぶっちゃけた話、そうなんです。そして、私が最初に与えられた課題はHTMLの習得でした。当時、といってもわずか数年前なんですが、インターネットは一般化してませんでした。今ほど沢山の人がネットサ−フィンしたり、メールをやりとりしたり、自分のHPを立ち上げたり、なんて事はありえませんでした。趣味としてコンピュ−ターを持っているか、会社で必要に迫られて使っているか、そういう人たちの世界でした。じわじわと、一般化のスタ−トを切ったギリギリの頃でした。

私は仕事で長い事マッキントッシュを愛用してますが、その会社に入社して、ネットサ−フィンをした時、まっ先に検索したのは「沢田研二」でした。次は「ジュリ−」。当時の検索エンジンが、今と同じ性能だったかどうかは、はなはだ疑問ですが、とにかく、結果はゼロでした。他の歌手/ア−ティストのHPは、結構増えはじめていたと思う。
そんな中、ネット界に「沢田研二」は存在しなかった。ショックでした。

HTMLを修得するのに一番手っ取り早いのは、ひとつのHPを構築する事です。
会社の時間を使いまくって、上司公認で、お給料までいただいて、私はこのHPを立ち上げたのです。

理由は、悔しかったから。何か、一石を投じたかったから。

立ち上げた当時は、何の期待も、憶測も、ありませんでした。
誰もこんなペ−ジ見ないだろうし、万が一、ジュリーの関係者なんかが見てしまったら、どんな事になってしまうのか恐ろしくもありました。
その予測は見事に裏切られ、今日の私があります。

HPを立ち上げて、間もなく、毎日何通ものメ−ルが届き始めました。
全国から、正確には外国からも、ファンのメ−ルが届きました。私は仰天しました。

私は昭和42年生れです。ジュリーのファンになったのは小学生時代で、タイガ−ス時代なんて全然知りません。その上、16歳から9年間も日本にいなかった。コンサ−トを初めて見たのだって、つい、最近、HPを立ち上げた頃からです。
HPと言ったって、提供できたのは澤會からのインフォメ−ションの丸写しだし、あとはお茶を濁すばかりの遊びの場。秘蔵の品もネタもない。知らない事だらけ。
「でもジュリーを愛するこの心だけは誰にも負けない!」なんてセリフすら、おこがましいくらいで(今もだが)、人生をジュリーに捧げているようなファンの方々に対してそれはあまりに失礼だと、良く、わきまえているつもりです。

本当に沢山の、歳も性別も経歴も違う人たちとのメ−ルのやり取りが始まりました。

その頃の、私のHPの意義は、ただ1つでした。
澤會にオフィシャルホームページを立ち上げてほしい。
それだけ。

自分がそのペ−ジに関わりたいと思った事がないと言ったら当然ウソです。自分のHPのことを、図々しくも、澤會に手紙で知らせた事もありました。もちろん、何の応答もございませんでした。わっはっは!
ジュリーの写真を無断使用したり、インフォメ−ションを丸写ししたり、ある意味では「いつ澤會から苦情が来るか?」とどきどきしっぱなしでした。でも、心の底で「そうなってほしい、苦情が来てほしい。」とも願ってました。「オフィシャルページを立ち上げてください!」と、その一言が直接伝えられるかもしれないから。

初めてのオフ会の参加者は、私と、男性1名(KUSUさ〜ん!元気ですか〜?)と女性1名(ダバダ〜!頑張ってるか〜い?)。場所は、当時の澤會事務所から歩いて2分の表参道のカフェ・デ・プレ。今は、このカフェも、なくなってしまったし。

あれから、結局何回のオフ会を主催したのか、記憶にございません。

それから程なく、それは沢山のジュリ−サイトが立ち上がって行きました。
個性豊かで趣向をこらした素晴らしいペ−ジが、わらわらと、もう、雨後の筍のように(例えが悪くてごめんなさい!)ネットの世界をうめ尽くしていきました。

その時点で、すでに私のペ−ジの意義は、半分終わってました。検索すれば、いくらでもジュリ−/沢田研二が見つかったから。

そして、ついに、澤會のペ−ジが立ち上がった。

私のペ−ジの意義は、ここで完全に、終わりました。
ある意味では、心地よい脱力感でした。
一抹の、ひどく勝手な自己満足感すら感じました。

でも、私はしつこい人間だったのです。一度好きになったジュリーを、どうやっても嫌いになれないように、一度始めたHPを、完全に閉鎖する気がどうしても起きなかったのです。それでは、今、何を目標としてペ−ジを存続させているのか?

こじつけるならば、初めてネットの世界に触れる人が、ジュリ−/沢田研二の一言を探し出す一助となるため、です。

だったら、もっと真面目に更新しろ!!
ご無理ごもっともなご意見です。ここに陳謝いたします。

でも、それはとても辛い事になったのです。そうする事への意義がどんどん薄れてしまったから。
ジュリーのスケジュ−ルなら、澤會のページを見てほしい。通販だって、やっている。コンサートの曲目を、ものすごいスピ−ドでアップするペ−ジもあるし、ファンの集いを求めるならば、BBSは、あっちこっちで花盛り。
お前のペ−ジでなぜ誰よりも先にそれをやらなかったのか?と言われても困るんです。何せ、私自身が、その、他の方のペ−ジで、楽しませて頂いてるのだからして。

世の中には住みわけがあり、それぞれの得意技、があります。
私にとってのネットでのそれは、きっと「始める事」だったのだろうと勝手に納得しているのです。そして私は細く細く、でも、永く、続けるのです。

ネットのおかげで、数えきれないほどのジュリ−ファンと出会えました。
それは、ネットのおかげではなく、本当はジュリーのおかげです。
しかしながら、あまりにも幅の広いジュリーファン層の中で、私は気後れもしています。
接点は「ジュリ−が好き」、その一点だけでつながっている人たち。
その事実は時に優しく、嬉しく、楽しく、厳しく、寂しく、哀しく、もろい。

時間は止まらない。故にジュリーも止まらない。
私ですら、止まっていなかった。
人との出合いがあれば、別れもあり、喜びもあれば、涙もあった。
お腹のそこから笑った瞬間も、眠れなくて泣いた瞬間も、すべてはこのHPから始まったこと、と言える経験を沢山、させて頂きました。

そんな今、私は、ここに原点宣言をするのです。

私は、誰が何と言おうと、ジュリ−が沢田研二が好きです。
そして、その事実は、私という人間に不可欠な要素です。
誰に対しても、その事実を偽るつもりはございません。

このHPは、そんな私の気持ちの一端を静かに誰かと分かち合うために存続します。

文句あるならもう見るなあ〜〜〜!!!<原点宣言??