Keiko N. 妊婦エッセイ

妊娠100回100通り
タカをくくると言う言葉がある。度々そのおかげで手痛い目にあっては来たが、今回ほど強烈な体験は中々ないだろう。何がって「つわり」だ。当然、上には上が、下には下がある事は知っている。しかし、今回のつわりはすごかった。死ぬかと思った。
第一子を妊娠した時の54倍くらいの(概算)つわりだった。ほぼしっかり3ヶ月間、人間であることを捨てた。毎日吐いた。食べ物の好みが変わったが、前回とは違っていた。過去の経験が役に立たない・・・。う〜む。
基本的に、お腹さえすけば、何でも食べられた。脂っこいものも、ぜ〜んぜん大丈夫!ただ、後で吐くだけ。だいたい、ほぼ何を食べても吐いていた。また、何が困ったって、自分が信用できない、こと。「ああ、冷中華が食べたい!」と、思ったとする。わくわくしながら作る。ひとくち食べる。「?」ふた口食べる「??」脳味噌は喜んでいるはずなのに、口と胃袋が嫌がっている。そんな馬鹿な。勿体無いので食べ続けようとするが、途中で吐く。私の調理の苦労はどうなるんだ?
ま、実を言うと、そんな事はどうでも良い事だった。吐くなんてのは、すぐに慣れる事を学んだ。あ〜、ダメだな、こりゃ、いいや、吐いちゃえ。という感じである。吐きたい時はさっさと吐く。人生の教訓を学んだね。慣れてしまうとあっさり吐けるんだわ。
で、本当に困ったのは、血圧です。毎日まいにち身体がダルい。思考ができない。ある程度はやる気があるのだが、まったく身体が着いて行かない。はっきりと何処が痛いとか苦しいとかいうのではないのに、辛い。辛くて辛くて身体を丸めてウンウン言っている以外にしたい事がないくらい辛い。起き上がる度に、座っていたのを立つ度に、100%間違いなく目の前が真っ暗になる。しかし、血液検査ではいつもの通り、健康な男性にも負けないヘモグロビン値だ。
そんな事を2週間、3週間としている間に気が着いた。血圧か?もしかして?どんぴしゃズバリだった。上が70下が42などという、驚異の数値が出てしまっていたのだ。もともと当家は低血圧一家。普段でも上は100にならない。しかし、70台はないだろう。普通の上が110とか120とかある人だったらショック状態という数値である。良くそれで生きてるね、と、人には言われたが、生きてるんだからしょうがない。
低血圧と気が着いてからは毎日血圧を測定した。病院の検診でも看護婦に呆れられた。「辛いでしょう?」「はい、辛いです」という不毛な会話がくり返された。「何とか血圧を上げる方法ってのはないんでしょうか?」「とにかく横になっててほしいんですけど」という、私はフルタイムで働いていると言う事実を無視した会話もくり返された。
すんごく、困った。仕事にならんのである。座っている事すら困難。同居している家族には更に申し訳なかった。家庭内の役立たずどころか、見ているだけでうっとうしい存在になり下がってしまったのだ。文句を垂れつつ、ばりばりと働き、がははと笑い、ダイナミックな料理を日夜家族に提供していた「在りし日の姿」はつゆと消えた。しかもそれは梅雨のさなか。もう、自分で自分がうっとうしい。「私が何をしたってんだ?いや、したか。確信犯で。くそ。」という、むなしい自問自答が続いた。
実際に働いていて一番困ったのが「脳貧血」だ。電車に乗っていたり、買い物をしていたり、とにかくシチュエーションは何でもありだが「立って、じっとしている」場合に起りやすい。まず、なまあくびが出る。で、吐き気がしてくる。あ、まずいな、と思っていると今度は冷や汗が出始める。頭のてっぺんからバケツで水をかぶったかのような異常な汗だ。そして汗が背中をツーと落ちる頃になると目の前が真っ暗になって何も見えなくなる。で、倒れる。そこまで3分弱。で、その後そのまま約20分。目が見えて、動けるようになってくると今度は手足にしびれが来る。これを4、5回やった。
東京の人は助けてくれない。だ〜れも、な〜にもしてくれない。まあ、へたに救急車を呼ばれなかっただけましなのかましでないのか・・・。医者が言うには「水分を沢山とって」(水を飲むと吐き気がしていたので、更に困ったんだが)「立っている時は止まらずに」(変な人だと思われようとも)「足踏みなどをする」という情けないアドバイスをいただき、実行した。ダンナに「トイレに行きたいの?」と何度も聞かれた。悔しい。くくく。
とにもかくにも、そんな状態がきっちり3ヶ月続いた。こんどのつわりも前回と同じだろうとタカをくくっていた私はいやおうなしに現実と向き合った。健康は金なり。しかし、人体は不思議である。腹の子供はその間もひどく元気に育っていたのである。親の心、子、知らず。この場合の親の心とは、一言「ばかやろー!」である。