過去における育児日記

思い付くままに書き綴った過去の育児日記です。
本当は毎日書ける程いろんな事があったけれど、書く時間は、なかった。
残しておきたいような、心にあればそれで良いような、
書く時間があれば息子の顔を見ていたいような。

2000年8月
今年上半期(?)の育児日記としては、実に「忙しい」日々であった。と言う事。

空はもうすぐで2歳になる。毎日毎日、目が回る程の変化を見せてくれる。彼の脳細胞の発達具合が、手にとるようにわかる。物凄く面白い。毎月どころか、毎週単位で彼は別のレベルに進化していく。とても恐ろしい。

年明け早々、昨年応募しておいた、江戸川区立保育園への入園内定が届き、4月の入園式に向けて、バタバタした。
入園の約一ヶ月前に「面接」とやらがあり、いろいろと説明があった。1歳児のクラスは(当然ながら?)1歳になったばかりの歩けない子供から、入園式直後に2歳の誕生日がくる子まで、ごちゃ混ぜの20名を4名の先生が担任すると言う。うちの空はほぼクラスの真ん中の月齢にあたる。この頃の月齢の差は大きい。2歳に近い程「子供」で、1歳になったばかりは「赤ん坊」だ。それをまとめて集団生活に突入させると言うのは、驚異だった。しかも先生が4名。目がテンだ。

個人面談で先生は細かく現在の日常生活等を聞き、私はありのままに答えた。当時、空はまだストローと共に哺乳びんを使っていた。哺乳びんに依存していたとは言わないが、まだまだベビィだった。それが、保育園では「コップのみ」になりますから、今から入園までに練習させておいてくださいと言う。慌てて哺乳びんを撤去した。が、ストローでないと量が飲めない。コップではどうしてもだばだばとこぼれてしまうからだ。ただでさえ小食な空にとって、水分は「死活問題」に直結しているので、親としては「実は今でも不安である」。
奥歯が生えたのがとても遅くて(つい最近の話)離乳食がちっとも進まなかった。短気なくせに慎重派な空は「丸飲み」というのができなかった。そうなると、当然、奥歯がしっかり生えるまで、彼はほぼ「流動食」だった。保育園では完全給食制で、それはそれで有り難いが「1歳児から5歳児までまったく同じメニュー」だったのだ。
面接の日には全員で親と一緒に給食を食べさせた。はっきり言って「美味しくはなかった」。御飯はかたく、パサパサで、うちで食べさせている軟飯からは程遠く、おかずは大きいまま。コップトレーニングも始めたばかりの子供に、お椀に入った汁物を出されても困る。子供に渡された食器はスプーンが一つ。あれで、どうやって、焼き魚を食べろと言うのか?月齢が上でいかにも元気そうな子供の何人かは嬉々としてお椀を抱え込み、手づかみで食べ物を頬張っていたが、月齢が下の子はスプーンで遊んでいた。私は正直言って非常に暗い気持ちになった。「こんなところに9時間預けていたら、うちの空は飢えて死ぬ。」

4月の入園式以降、ほぼ予想通りに、空は泣きわめき続け、慣らし保育と呼ばれる「徐々に保育時間をのばしていくスケジュール」に遅れ続けた。そしてその間、奴は奴なりに必死だったのだと思う。食事はせまっ苦しいテーブルでほかの子供と並んでする。ぼやぼやしていると、食べ物は他の子供にとられていく。先生が4人ではひとり1人に目や手は配れない。奴は先生に「病院で検査された方が良いのでは?」と言われる程、給食を吐き続けた。奴だって、腹は減る。気は焦る。慌てて「もともと無理なメニュー」を口に突っ込み、のどに引っ掛けて吐くのである。親として、泣きたい日々が続いた。泣いていやがる空を園に送りだす度に鬼畜になった気がした。

そんな日々が1ヶ月続き、ゴールデンウイークが来て、空は水疱瘡を発症した。40度の熱が丸4日続いた。体中の至る所、口の中から目の中、考えられないようなところまで隅々に発疹が出て、完治するのに10日かかった。早い子は4日で治ると言われてもだからどうだと言うのだ?奴の肌は白人だから発疹が物凄く目立つ。まる3ヶ月以上たった今も、いくつか赤い痕がある。医者ですら他の病気と間違う程、きれいに赤い痕だ。やっと水疱瘡が治って保育園に復帰と言うその朝、空は風邪で8度5分の熱を出した。奴は熱発すると物をまったく食べなくなる。幼児用スポーツ飲料を毎日2リットル飲み続けて生き延びる。当然、身体がどんどん痩せていく。看護婦に「ちゃんと食べさせてますか?」と、まるで幼児虐待を疑われているような質問をされ続けてしまう体型になる。

結局、3日登園させると、何かしら病気を移ってきて6日休むと言うような状況が続き、5月は3日間、6月は8日間しか登園できなかった。ほぼ毎日のように病院へ通った。新しい病気になる度に病院で「園へ行かせたでしょ?」と聞かれた。「行かせるから移るのよ。」と、看護婦は言う。

何のために入園させたのか?(保育料もばかにならないし)毎日毎晩、家族会議が続いた。

そんな中、5月の末に私は会社を「ぷっつん退社」する事が決まり、6月いっぱいの仕事の段取りに追われる毎日だった。夜中じゅう泣いて愚図る息子を抱き、熱をはかり続け、薬を飲ませ、座薬を使い、水分補給を続けた。

6月半ばに、第2子の妊娠を確信した。来年の2月に出産したかった希望ぴったりの「計画妊娠再び」だった。

仕事と育児で目が回るような毎日で、退職する3日前まで産婦人科へ行くチャンスがなかった。次の就職先もこの妊婦生活を予定にパートとかフリーランスで行こうかなどと考えつつ、7月からの「お母さん&主婦生活」に夢を見ていた。空を取り上げてくれた医師と久しぶりの対面をして、喜んだのもつかの間、診察の結果「稽留流産」の診断が下った。天国から地獄とはこれいかに、だ。

辞めていく会社の人には黙っていた妊娠だった。ひとりでこそこそとニヤついていた。今度はひとり、こそこそと涙を拭くはめになった。

せっかくの「夏休み」は、流産での入院と、ダンナの骨折騒ぎと、さらにダンナが新車を追突されるという、てんこもりのハプニングでぱあになった。

それでも神様はいたと思う。なぜならそんな7月の一ヶ月間、空は見違えたように元気になったのだ。奥歯が生えてきて、物が噛めるようになった。私が在宅と言う状況を利用して先生と何度も話し合い、給食時に気を配ってもらえるようになり、空は吐かなくなった。体重も戻ってきた。楽しそうに登園できるようになった。

この1ヶ月半で、空はすっかり「お母さんべったり」になった。げんきんだ。正直だ。

今月は、私の「夏休みの最後の週」にあたる御盆休みに手足口病になった。予想通り丸3日以上奴は絶食した。親としても、この状況には少し慣れてきた。明日からは私は新しい職場へ通い、空は保育園に復帰するだろう。親子一緒に頑張って行きたいものである。