Keiko N. の言いたい放題スペース 2009
今年の言いたい放題

さて、地球の裏側、アメリカはシアトルからお送りしております。
今年は一度も日本に里帰りができず、
もちろん、ジュリーの姿を生で見る事も、
その声を生で聴く事もできませんでした。
そんな私が何を書くのか?
今年ももう師走ですが、このタイミングで書いてしまう事を、
広いお心でお読みいただけるという、
奇特な方にお楽しみいただけたら幸いです。

しつこいようですが、ジュリーは神様であり、御大および澤會のすべてが
「完全完璧」だと信じておられるファンの方は、
間違ってもこの先をお読みになりませぬようにお願い申し上げます。
読んでしまわれても私には一切責任のとりようがございません。


あれから1年・・・。
2008年12月3日
「Keiko N. の ジュリー祭り @ 東京ドーム」

あれから1年経ったわけだけれど、今を遡る事、一年半前からこのレポートは始まる。
いや、始まらねばならない。

2008年6月25日。
先立つ4月にアメリカへ移住してしまった私は、この年のお正月に、渋谷公会堂でジュリーとの別れに号泣したはずであったのに、運命の女神と八百万の沢田大明神のおかげなのか、正しき道を踏みしめて、このジュリーの還暦誕生日コンサートにやってきていたのである。

そして、この日、ジュリーは年末のダブルドームの予告をきっちりとされた。
それは、私にとって、遥かに遠い夢であった。
しかし、夢は見る為にあるもの。
私はほとんど迷わずに、同じジュリーファンの友人にこう言ったのだ。

「とりあえず、東京のチケットだけ、予約しておいて」

ダメだと思っていた。
ダメなら売ってしまっても良いと思っていた。
ダメでもチケットだけは持っていたいと思った。
ダメでもチケットだけを額に入れて飾っておきたい気持ちだった。

そして、時は9月15日(シアトル現地時間)に飛ぶ。

行くか、行かぬか。
行けるか、行けぬか。

ただ日々、悶々と、逡巡する日々が続いていた。
私が馬鹿である事は、正真正銘のジュリー馬鹿であることは、ほぼ誰もが知っていた事だけれど、そこまで馬鹿になれるのだろうかと自問自答の日々だった。

6月には大義名分がいくつかあった。
息子達も、夏休みだった。
しかし今回は言い訳がない。
息子達も学校へ登校している。
夫ももちろん仕事だ。
しかも師走だ。
更に言うなら、金もない。<最悪

こんな時に、往復10万は下らないであろう航空券を買って、家族を放って、東京ドームへ駆けつけるというのは、人間として、どうなのだろうか?
そういう問題だったのだ。
だいたい、費用的なことを言うならば、航空券だけなんかの問題じゃないのだ。
成田から自宅までの交通費を始め、携帯電話料金など、何万円が飛ぶことか・・・。

しかし、この日、ふらふらと覗き観てしまったとあるシアトルの旅行代理店のウェブサイトでは、「北米予約センター1周年オープンキャンペーン」なるものをやっていて、日本までの往復航空券を100ドル割引するという。
しかもこのキャンペーン、この日が最終日。

げっ!

この時の私の脳内アドレナリンぐるぐるラッシュをご想像いただきたい。
次に飛び込んで来る、「サンクスギビング里帰り往復航空券スペシャル」のコピー。

うっ!

結局、私は夫の事務所に駆け込み、懇願していた。
「おねげえですだ、おだいかんさま!むこう30年くらい年季奉公いたしますから、どうかどうか行かせてくだせえ〜!ジュリーに会わせてくだせえ〜〜〜!」

夫はため息をつきつつ答えた。

「行きなよ。これしかないんだろ?行かなかったら後悔するんだろ?だったら、行ってから後悔しろよ」

夫のハゲた頭に後光が射した瞬間でした。

一気にこの旅行代理店に登録をし、キャンペーン・ウェブクーポンをゲット。
電話もしてチケットを押さえました。
税金手数料燃料サーチャージ、なんもかんも含めて805ドル。
底値でした。

そこから先はもう、舞い上がる日々。
私の幸せは、日々、アルコールが抜け、痩せて行くジュリーと共にあった。

そして更に、時は10月21日の夜(シアトル時間)に飛びます。

この晩、大変に懐かしい方から非常に唐突にメールが届きました。
この方、私が東京で、デザイナーとして働いていた時代のお客様の1人。
15年、日本で働いてお仕事をいただいてきたお客様の中で、ダントツに「容姿が華麗」だった方。もう、女優ばり。叶姉妹まっつぁお。
それで女社長で六本木に事務所を構えていらっしゃる方。

そんな方が、私にメール。
「ご無沙汰しております。お変わりありませんか?ひょっとして、12月日本に来る予定は?」として、彼女の仕事仲間からのメールを添付してくださった。

そのメールのタイトルは「求む!沢田研二バックコーラス」。

え?
ええええええええええええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!?

はっきりと明記しておきたいが、この女社長様はジュリーと何の関係もない。
で、この転送メールを送ってらした方も、ジュリーとは何の関係もない。
ただ、恐ろしい事に、「話のネタ」だけだったはずのメールに、女社長様の記憶の扉の奥底から「あら?そういえばKeiko N.デザイナーって、ジュリーのファンだなんて言ってたわよね?」という情報が浮上しただけだったのだ。

世の中は、何が起こるかわからない。
誰がどう繋がり、何がどう動くのかは神のみぞ知るなのだ。

私は後先も考えず、ただただ、震える指先でメールに返信していた。
「帰ります。日本に、12月3日の東京ドームに行く為だけに、帰る予定です」と。
すると、PCの前にいらしたのだろう社長様から即座に返答メール。
かなり、驚いていらっしゃいました。
単なる冗談のひとつくらいにしか思っていらっしゃらなかったから。

さて、そこからが大変です。
結局、この社長の仕事仲間の方の、更にその先から来ているという話ですから、遠い遠い・・・。
それでも、私はこの話に乗ったのです。
この社長も、このメールが来てから、私に連絡するまでに数日が過ぎており、参加表明の期限もギリギリだとおっしゃる。
だから、私には、正確に言って、約4時間の裁量時間しか与えられなかった。

頭の中にはありとあらゆる疑問が渦巻きました。

「コーラスって、練習どうするの?」
「買っちゃったチケット、どうするの?」
「服装とかどうなるの?」
「裏方になったら、コンサート観られるの?」
「テレビとかDVDとかに映っちゃうの?」
「私、大丈夫なの〜!?」

ちなみに私、学生時代、合唱部員でした。<衝撃の過去
英語も喋れないくせに、アメリカ人の学生と一緒にスキャットしてました。

ジュリーと歌える!
たとえ、千人のコーラス隊のひとりだとしても、ジュリーと一緒に東京ドームで歌えるのだ!
私はそれに賭けました。

もともと、行けなくとも当たり前のコンサート。
たとえ裏方として参加し、ジュリーをまともに鑑賞できずとも泣くまい。
私は、人生に一度きりの経験の方に賭けたのです。

合唱指導の楽譜等が、日本の実家の母を通して届き、朝な夕なに練習の日々。
昔取った杵柄の、アルトの発声を取り戻すのは、正直言ってしばらくかかりました。
それでも連日、歌い続ける妻、母の姿に家族は苦笑し、苦笑しつつも喜び、息子達までが上手にアルト・パートを歌えるようになりました。

後日、ジュリーの事務所側は、このコーラス隊にファンを紛れ込ませないようにという注意を発していた事も知りました。
たしかに、ジュリーがおっしゃりそうな事だと、ファンとしては思いました。
しかし、私の参加した合唱隊からはどのような指示もなく当日を迎えました。

過去を振り返り、ファンとして、倫理観を問われるとすれば、それは、一抹の罪悪感も感じます。
それでも、参加を決めて、真摯に練習を続けた自分と、一生に一度のドームライブを、客席から観るという経験を捨てても参加したいという気持ちに嘘はなく、私は間違いなく「心を決めて良かった」と今、思っているのです。

こんな話が、ジュリーと何の関係もない方から、風のように舞い込んで来る。
しかも、太平洋を軽々と越えて・・・。

こんな事実に、夢物語のような、架空の出来事のような逢魔が時に、私は迷い込んで抜け出る事などできなかったのです。

そんな状況で迎えた、12月3日の東京ドーム。
よろしければ、レポートをお楽しみください。
(って、ここまで前置きかいっ!?はい。そうです)

結局これが唯一の証拠と思い出の品となる、コーラス隊員用のパスをいただき、自分の所定の席に案内されて、興奮するとともに「やはり・・・」という諦めをぐっと飲み込む。
私の席からは、ステージはほぼまったく見えない。
花道の中程から先と、袖の本当に最後の端だけしか見えない。
本来だったら、観客として座っていただろう席がはっきりと見える。

でも、これが私の選択。

白いブラウスに黒いスカートの女性達と、黒服の男性達が粛々と席に着く。
お若い方から年配の方まで。
寒さで声が出るのかな〜なんて不安もあったはずなのに、ステージではリハーサルが行われていて、楽器の音が響いてくる。
ジュリーのパートを誰か他の人が歌っている。
つい苦笑したくなるが、ぐっとこらえる。

すると、脇の方から「わあっ!」っと声が上がった。

ジュリーだ。

ステージの後ろからジュリーがスタッフと一緒に現れ、客席などをチェックして歩くのが見えた。
ジュリーだってぴりぴりしているだろうに、コーラス隊に向かって軽く手を振り挨拶をしてくれた。

「あああああ・・・」と心の中で泣きたいような気分で眼前を歩いて行くジュリーを見ていた私だが、はっと気がつくと、周りの皆さんはこぞって携帯電話を構え、写メを撮りまくっているではないかっ!!!
「えええええ!?そんなコトして良いの〜!?」
完全に出遅れた。
遠〜くに、ぽっちりと映る後ろ姿しか撮れなかった。

ジュリーファンは、ジュリーにカメラを向けるなどという行為が御法度である事を長年の教育で(教育者はもちろんジュリー)骨の髄まで刷り込まれている。
しかし、一般ピーポーは違うのだ。
そして、何故かジュリーは一般ピーポーに優しい。
なんでだよ〜〜〜!?

ジュリーファンであることをひた隠しにして参加していたはずなのに、思いがけず、こんな場面でジュリーファンである事が露呈してしまった私だった。

その後、スタッフから「写メは禁止です!」とお達しがあったが、それでも皆さん、こんなレアな機会はそうありませんから、必死でそこら中の写真を撮ってメールしまくってました。

リハーサルのジュリーの声を聴けただけで、私は幸せでした。
ジュリーはがんがん炊かれていたスモークを「のどがガスガスになる〜!止めて〜!」とストップ。
これから6時間の前人未到の長丁場にやはり緊張されていた。
それでもリハの声の素敵な事!

「確信」「ある青春」それにコーラス参加曲3曲。

コーラス隊との練習もありました。

「ロックンロールマーチはロッケン!け!研二のケ!でお願いします」
と、笑いを取り、幸せに練習歌唱。

コーラス参加は3曲。
「我が窮状」「ROCK'N ROLL MARCH」に「あなたに今夜はワインをふりかけ」。
当初はこれに「ROCK 黄 WIND」が予定されていたが、それはあっさりなくなった。
そして、どんづまりで「もう1曲増えました〜!」と連絡が来たのが「ラヴラヴラヴ」。

せめてこの場で練習ができるかと思ってきたのにジュリーは「ラヴラヴラヴ」は本番でよろしくお願いします〜!って、練習ないのおおおおお〜!オオ〜ノオ〜!
ちょっと怖い。

ジュリーの姿は見えないし、鉄人バンドのメンバーはまったく見えない。
でも、コーラス隊用にスピーカーはもちろんある。
「声だけでも良いの・・・」

そして、すんなりとリハは終わり、私たちは一旦退場させられる。
第一部の最終曲である「ラヴラヴラヴ」までは、なんと、遠い遠いはるかに上〜〜〜の方のお席が用意されており、ステージを見られる事になったのだ。

ううう・・・嬉しい〜!

小さな小さなジュリーだけど、まったく観られないと思ってここまで来ていたから、嬉しくてしょうがない。
むさぼるようにジュリーを観る、聴く、一緒に歌い踊る。
長い長いオーバーチュア、そして「そのキスが欲しい」。
叫ぶ!
後で声が出なくなってはいけないから、おさえておさえて、それでも叫ばずにいられない!

3万人の観衆はすごい迫力だった。

ああ、おめでとうジュリー!
ありがとうジュリー!

コーラス隊にはこの日のセットリストがリハの時に配られていたので、曲順に驚きはない。
それでもめくるめくようなジュリーワールドで私はハイになった。
ならずにいらりょうか?

真っ白なネイティブアメリカンのヘッドドレスには会場がどよめいた。
1枚ものの牛革のコートは面白かったけれど、この距離ではディテールがまったくわからない。

それでも不思議なのは、記憶がもうめちゃくちゃになっていることで、後日発売となったDVDを観ていると、観ていないはずの姿を、観ていたような記憶が蘇るのだ。

「A・C・B」の後でコートを脱ぐと、フリンジが可愛い白とパステルの衣装だが、も〜ぜんぜん細かいところなんかわからない。
「銀河のロマンス」の後で、ヘッドドレスを外すと、あのとんでもない色の髪が、すでに汗でぐしゃぐしゃになって現れるのだが、頭よりも「ボレロがかわいい〜!」なんて、わけのわからない事ばかり考えている。

「君だけに愛を」をドームの最上部から観るというのはすごい体験だった。
まさにモーセの指の再来だったかもしれない。
黄色い悲鳴の若さったらなかった。ははは。

「コバルトの季節の中で」のカメラ目線が素晴らしい。
いつも通りの事だが、「おまえがパラダイス」の頃にはなぜかジュリーが10キロくらい痩せて見えてくる。

「いくつかの場面」で涙して、「全国津々浦々から〜・・・」とジュリーに言われてしまうと泣けてくる。

地球の裏側から来てんだよお〜〜〜ん!
あお〜〜〜ん! <遠吠え?

「学校休んで会社閉めて、店閉めて、休んで・・・」
子供放って、夫捨てて、親類無視して・・・。

まだまだ先が長いのに、ジュリーはたまらないほど全力だった。
気力と気迫が尋常じゃない。
「睡蓮」や「ポラロイドガール」あたりで私は「こんなんで大丈夫なの?」と心配にさえなった。

ドームの果てから「a.b.c...I love you」で両腕を投げ出す。
でも、私はそろそろ夢の「第1幕」の終り。
コーラス席へと移動せねばならなかったからだ。
指示では39曲目、「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」までに移動を完了するようにという事だった。

それで、後ろ髪を引かれるというのはまさにこの事だが、「サーモスタットな夏」が終わって「彼女はデリケート」を背中で聞きながら退場。

DVDを観るまで、この曲の最後でトチったことを知らず、「なんか、笑い声が出てるのは何故?」と謎だった。

慌ててトイレで用を足したのだが、BGMは「君のキレイのために」。
生ジュリーのBGMで用を足したのはこれが産まれて初めてだった。
なんともったいのない事よ・・・。

コーラス席は暗くて焦ったのだが、無事着席。
さあ、「ラヴラヴラヴ」だ。

だ〜〜〜れもわからない事だろうが、しょっぱなの音程をとちった。
でも、その後は即座に軌道修正できて、良い音が出せたと思う。
腕を振り上げて、手をエルの字にしたくなる。でもがまん。

それから、噂に聞いていたサインボールの大プレゼントテニス。

あああ〜〜〜、こっちに来るわけないもんなあああ〜〜〜。
でも、気持ちだけ勝手に受け取りました。

ちなみに、DVDを観ていたら、ボールを打つジュリーのすぐ後ろに私の姿が映っていた。どへ〜〜〜。
場所的に、ほとんどまったく画面に映らない位置だったから、このDVDにはびっくりした。
もちろん、ものすごく小さくて、私以外の人には絶対に認識できない。
でも、私には「そこに、いた」という証拠だ。

休憩時間は持参したお赤飯のおにぎりをほおばる。
やっぱりおめでたい日はお赤飯だよね。

第2部はもうずっとコーラス席で。
どの曲も、しみじみと、姿が何も見えないぶんだけじっくりと聴く。
でも「サムライ」で身体が動きそうになる。
常に一緒に歌いそうになる。
隣のお若いお嬢様方の「えーしーびーってなんだろ?」という会話に「それはアシベと読むのよ。昔あったライブハウスの名前なのよ」なんて言っちゃう。
「ファンなんですか〜?」と聞かれ、ここまできてつまみ出される事もなかろうと思い「ええ、まあ」なんて答える。たはは。

ついに51曲目「我が窮状」のコーラス。
これはアルト・パートには唯一の(?)聴かせどころがある曲。
ダバダバダ〜とスキャットが入るのだ。うふふ。

他に感想の言葉が探せない。

めちゃめちゃ気持ちよかった〜〜〜〜〜!

ジュリーと一緒に歌ったという満足感がぶわ〜っと広がった一曲だった。

感動を引きずって、ちょっと虚脱して、続く曲を聴いた。
でも「憎みきれないろくでなし」「ウィンクでさようなら」「ダーリング」と来て、身体がもう我慢ならない。

ファンはいないはずのコーラス席なのだが、皆さん結構のりのりになってる。
拍手もするし、手拍子も打つ。
ジュリーからはまったく見えないはずだけど、そんなこと関係ない。
コーラス3曲目まで、間があるので、コーラス隊の一番端っこまで移動してみる。
すると、すこ〜〜〜しだけ、ステージのジュリーが見えるのだ。
他の人達も何人もが同じように移動して、階段部分に立ったり座ったりしていた。
せっかくの機会、みんな、ジュリーの姿を少しでも見たかったのだ。

「TOKIO」では花道に出てきてくれたので後ろ姿が見られた。
せっかくの、一生に一度。
ジュリーの一生にも一度なら、私の一生でも一度の東京ドームを、こんなところからかいま見る姿で良いなんて、私も相当な馬鹿だなあと苦笑する。

「おまえにチェックイン」で所定の席に戻る。
「ROCK'N ROLL MARCH」が待っているからだ。

「研二のケ!」でシャウトしてやるぜ!
曲の直前に「ヘイヘイヘイ!」で腕を振り上げましょう!というメッセージが回ってくる。

おお!挙げても良いのか!?
あたしゃ今までぐっと我慢してきたんだよ〜!
やっても良いのね〜!
やるわ!

そして、「夢の中」名スピーチで一緒に泣きそうになった。
ああジュリー、ずっと貴男を好きでいて良かった。
やっぱり貴男は永遠の王子様だわ、と思った。
貴男という夢を見られなかったら、私は今、こんなに幸せでいられるわけがないと思った。

2008年の始めに、悲しくて悲しくて、号泣して聴いた「勝手にしやがれ」が、この日はこの上なく晴れ晴れしかった。
コーラス隊もみんな壁を塗っていた。
すてきだ。

そしてラストの大仕事。
「あなたに今夜はワインをふりかけ」

出だしがね、大事なのよ。
気持ちよく、悔いなしで、高らかに歌っちゃいました!

もちろん今回は、ジュリーだからこんな馬鹿な暴挙に出たのだけれど、学生の頃にあんなに楽しく歌っていたって事は、歌う事が好きなんだよなあと再確認できた。
日本にいた頃から、カラオケなんぞともほとんど縁がなく、歌うと言えば、お風呂場か、息子達への子守唄ばかり。
でも、私は声は良くないが、通るのだ。
昔々の演劇部時代だって、弁論大会だって、誰よりも声が講堂や体育館の端までも浪々と響くのが自慢だったのだ。

コーラスって、気持ち良い。
ハーモニーって、素晴らしい。
こんな基本に帰らせてくれるジュリーが大好きだ。

しみじみとしんみりと「ヤマトより愛をこめて」を聴き始めたら、周りが騒がしい。
なんと、もうこれで解散しても良いと言う。

ええ〜!?

戻りたい人は、第1部で座っていた3階席へ戻っても良いと言う。
ダッシューーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!

「気になるお前」をドームの外側を走りながら聴いた。

だって、元の席に戻るには、一旦ドームの外へ出て、ぐる〜っと回って入場し直さないといけないのだ。うひー!

それでもおかげで「遠い夜明け」と「いい風よ吹け」「愛まで待てない」を堪能させていただけた。

ジュリーが歌い、私がそこにいた。
2008年12月3日は、そういうことだった。

どの曲でも、ふとした事から涙がこぼれた。
どこかで「もうこれで最後かも・・・」と思うからだと思う。
ファンとして、馬鹿だけど、幸せな馬鹿だから。

ジュリーが一本締めの声を挙げた。

東京ドームの正面真後ろ、最後列に近い席で、ドーム全体が「どおんっ!」と響いたのを聴いた。
恐ろしいようだった。
そうとしか言い様がなかった。

ずうん、と、揺れた。

それから先は、両手を振るジュリーに、届く訳もないのに私は泣きじゃくりながら声をからして叫び続けていた。
何度も何度も「ジュリー!ジュリー!」と叫んだ。

おそらく招待客であろう、私の前方に座っていた人達が私の叫び声にくすりと笑った。

ああ、わからないでしょうね。
あなた達にわかる訳がない。
私がジュリーと歩んできた31年の意味。
太平洋を越えて、遠く離れてしまう意味。
今、ここに辿り着けた奇跡を、本当にわかるのは私だけ。

翌日、12月4日、私は朝一番でスポーツ新聞を2部ずつ買い、成田からシアトルへ発った。

次が、あると信じて、生きようと思った。
希望はいくらでもある。
シアトルで今、私にはなんと、同年代のジュリーファン仲間が2人もみつかったのだ。
すごい。
愛は尽きない。

 

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